電力とジェネレーション

電力使用制限令が解除されたことに伴い、そもそも節電はする必要がなかったのではないか、という議論がある。これは電力会社がどこまでインフラを支える義務があるのか、という問題に帰着する。

電力会社は電力を供給する「義務」はあるのだろうか。

電力会社が節電要請をしなければ、民間企業は電気を野放図に使い、全国規模の大停電が起こっていたかもしれない。これは、日本経済の信頼性にかかわる問題である。しかし、後になってみれば、あれは必要なかったのでは、という議論も出てくる。そのときの判断で、少しでも電力が足りないという可能性があったため、停電をさけるために使用制限令を出した。しかし、出さなくて停電が起こったとしても、それは分かっていて使った民間企業の責任だし、そこに電力会社が責任をとる必要はないだろう。インフラというものを考える時、国営でなければ最後の責任の所在が曖昧になる。民間企業がインフラを死守しなければならない義務はあるのか。半官半民のありかたとは存在するのか。

ある程度年齢がいった人は、電気なんてなくても、経済成長しなくても生きていけるならそれでいいじゃない、という。でも、経済が縮小傾向にあるなか、就職戦線にいる若者にとっては、経済成長で雇用を確保することの重要性が痛いほどよくわかっている。そこにはかならずジェネレーションギャップが生じるし、国民的合意など土台無理な話だろう。

現役世代とは何を指すのか、誰のためにどのような国の在り方を描いていくのか。課題先進国におけるビジョンの在り方が問われている。どこかの国のマネはもうできない。