すえーでん

福祉国家として日本の数年先を行くスウェーデン
その政策に今後の日本の在り方を学ぶシンポジウムにいってきた。
パネリストは小宮山宏や人口高齢化問題研究所の人や医師経営のバックグラウンドの人など。
スウェーデン厚労省の役人や建築学科の先生、福祉ビジネスの人など。
多様な人たちの多様な話で、まとまりは無いが非常に面白かった。
スウェーデンは税金を高くして(消費税25%)、教育・医療の質を上げている国だ。
いわゆる「大きい政府」か。
アメリカの「小さい政府」による失敗が取り上げられるなかで、スウェーデンモデルが
注目されるのももっともだと思う。
果たして日本はどちらの道に進むべきか。
「大きい政府」のメリットは所得の再分配が進むこと。特に社会的弱者に対して手厚い。子供や老人が安心して暮らせたり、失業者や居住困難者などに対しても相応の対応をする。
ではデメリットは何か。所得の再分配が進むことで社会が平等になることは、「富めるものがますます富める」世界でなくなるということだ。そのことによって、その国の企業は、そうでない国の企業との競争には負けてしまうのではないか。
一方で、「小さい政府」は市場の勝者が人生の勝者である。富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる(国全体が豊かになればそうではなくなるのではないか)。格差社会によって、富める者と貧しいものの差は広がるかもしれない。だが、人間の尊厳をもって生き、衣食住が足りた生活が最低限営める範囲内であれば、格差は広がるのもやむを得ないのかもしれない。
日本は「一億総中流」時代から、格差の時代に入っているのか。それとも「一億総上流」に向かうのか。はたまた「一億総下流」に向かうのか。
進むべき道は全く見えないが、少なくとも「小さい」がだめだったから「大きい」にしたのでは何も変わらないのではないか。地球規模の人口爆発が目前に迫る中、いい加減「繰り返す歴史」はやめた方がいいんじゃないか。国の姿はそこに住む人の姿だと思う。そこに住む人が何を考え、どんな所で暮らし、どんな生活を営んでいるか。つまり、気候風土や国内外の歴史など、人の思想に影響するものを踏まえた上で、最適と思われる「小さい」と「大きい」の間のポイントを探るべきであると考える。