future of the internet

日本のインターネットの現状とこれからの世界のインターネット社会の動きについて。日本のネット社会は高度な知識を共有する世界になっていないというのは確かにあると思う。それも「村八分」「出る杭は打たれる」の論理から言われることではないのか。ただ、欧米のネットを活用した知識の共有の仕方には感心するけれど、全部が全部いいものであるとは思わない。むしろ日本では「いいもの」だけを選別して発表しようとするから(村八分をおそれるため?)結果として一部の目立ちたがり屋か、本当に実力のある人しか発言していないんじゃないか。このことについては僕は特に問題だと思わない。実際、良いことをいう人の部ログだとかはアクセスが集中するし、それを見ない自由だってあると思う。それは、日本のインターネット社会がおおむね日本人向けに情報発信されている場合だといいんだけど、海外の目を取り入れるときにはどうしても「言葉の壁」が存在する。すごくいいことを言う人が増えるのはいいことだけど、ある集団の中ではそういう人は一定の割合しか存在しないと思う。だから、日本人が日本語を捨てない限り、日本的な情報共有がなされるのは変わらないんじゃないかと思われる。それが良いとか悪いとかじゃなくて、そういう風になってしまうのも仕方がないんじゃないかと思う。


英語圏ネット空間は地に着いてそういうところがありますからね。英語圏の空間というのは、学術論文が全部あるというところも含めて、知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しているという現実もあるし。途上国援助みたいな文脈で教育コンテンツの充実みたいなのも圧倒的だし。頑張ってプロになって生計を立てるための、学習の高速道路みたいなのもあれば、登竜門を用意する会社もあったり。そういうことが次々起きているわけです。

Googleがウェブをもう一つの地球としてマスタープランを描き、クラウドコンピューティングChrome OSを推進する中で、Facebookはウェブをもう一つの地球として捉え、そこに新しい社会基盤、すなわちウェブ国家を構築していくという戦略の違いが鮮明に見えるではないか。