nexus one, iphone

このところネクサスワンとiphoneの検索ばかりしている。
長年愛用してきた携帯もそろそろ寿命が来て、3月までには強制的に停止させられるらしいが、それを期にスマートフォンでも買おうかという気になっている。というか、スマートフォンが出てしまうと、他の携帯がつまらなく思えてしまって、2年縛りで買うのがものすごいリスクを背負い込んでしまうような感覚に陥るのは、CMなどに流されすぎだろうか。
それはともかく、スマートフォンが欲しい今日この頃である。
だったらアイフォンを買えばいいじゃないかと思うのだが、アイフォンを手に取った時、何かが違うと感じたのだ。性能とか、アプリとか、色々調べてみたけど、何がひっかかっているのか分からなかった。それはやはり2年縛りでアイフォンを買うことが、アイフォンによって得られる効用に比べても、どうしてもリスクが高い行為に思えて仕方なかったということである。アイフォンに関する不満は色々あるだろうが、買った人が言う意見と、買っていない人が言う意見には違いがあるし、両者にバイアスがかかっているので、参考にはするけど決定的な意見にはならない。やはり自分で店頭に行って使ってみることが必要だと思う。
多分予想だが、僕はあの、デザイン思想が合わないのだと思う。「デザインされました」というものは、得てして使いにくいというものを経験から感じているからだと思う。それは、音楽プレーヤーのように、一定の機能しか持たず、使う時間も限られているようなものだったら話は別である。だけど、携帯電話のように、しょっちゅう持ち歩いて、色んな機能で楽しもうというものならば、「デザインされました」と主張しているものよりは、「なんだかよく分からないけど、最初からそこにあったような気がする」ものぐらいの物の方が、気負いなく使えるというか、アフォーダビリティーがあるというか、そんな自由がある気がするのである。これは別に、機能がどうとか、使いやすい、使いにくいの話をしているのではなく、自分が普段からずっと持ち歩くものとして、適当なのは、何となく「すごくデザインされました」みたいなものじゃないほうがいいんじゃないかってこと。
この感覚って、もしかしたら住宅のデザインと近いのかも知れない。一生に一度の大きな買い物をする施主は、住宅に奇抜なデザインを求めないことが多いんじゃないか。それより、周りに調和して、何となく親しみが持てて、それでいて使いやすいというものを自然と欲するんじゃないかと思う。「こういう家だったらかっこいいな」と思うことはあって、確かにそんな家が新建築や住宅特集には出てくるんだけど、でも実際に、本当に一生の買い物としてその家を買うかどうかと聞かれたら、僕だったら「NO」だ。僕だったら、大してかっこよくなくても、それなりに味があって、ちょっとした粋な部分があればなお良いというくらいだ。決して奇抜なデザインは求めないだろう。
携帯も住宅と同じように、その人のライフスタイルと密接に関連するものだから、あまり「かっこいいもの」はもとめられない気がする。それよりも、「シンプル」で「使いやすく」「長く使えそうなもの」が求められているんじゃないだろうか。もっとも、これらを満たしていたら携帯電話会社の利益は徐々に減っていってしまうだろうが。
というわけで、僕はアイフォンは欲しいけどなんとなく引っかかり、ネクサスワンのほうがよりしっくり来る気がするのです。ネクサスワン的な端末がソフトバンクから春に発売されるという噂がちらほら引っかかるけど、「SIMロック」とか馬鹿なことはマジでやめてくれ。携帯大手3社がガラパゴス日本を独裁して、ますます競争力をなくして骨抜きにしていくことだけは避けなければならないと思う。シェア争いとか馬鹿な争いを繰り広げるよりも、いい商品やサービスを作れば、自然に顧客はそっちに行くのにね。日本の携帯会社はアイフォンやネクサスワンを作れなかった理由をもっと反省して欲しいと思う。そして、もはや現代のインフラといっても過言ではない携帯電話をもっと使いやすく、分かりやすいものにして欲しいと希望をこめる。
妄想だが、これだけ携帯電話が普及したのだから、インフラ事業として国が携帯電話かもしくは通信事業をやっても良いのではないか。税金を取ってネットはつなぎ放題にしますとか。そうしたら、国民全員がいつでもネットにつなぎ放題の社会がやってきて、情報格差や国の格差がなくなって、払った税金の何十倍も特になって帰ってくるんじゃないか。あれ、これって誰に損なんだろう?既得権益者かな?w