private rights and public profit

個人の自由と公共の利益の関係について考える。
例えば、新しい道路を造るとして、その道路が出来れば利用者が利益を受ける上に、その経済効果の余波も多いという時に、その土地に住んでいる人の自由はどれほど保障されるのであろうか。そのように、公共の利益が明らかに多い場合であっても、個人の自由を尊重しなければならない場合もある。その個人の自由が、他人に迷惑をかけるようなこと、例えば、電車の椅子で寝ることだとか、そういうことであれば有無を言わさず改善をすることができるだろう。しかし、住んでいるという機会を侵害してまで公共の利益を優先することが許されるのであろうか。それはおそらく、公共の利益による経済効果と、個人の自由・権利を並列して考えなければならないという難解な作業であると思う。個人の自由・権利はどのように経済的に評価されるのであろうか。それは、地上げのこれまでの相場のようなもので経験的には決まるものだろう。しかし、本来別の物を並列的に比べるのはかなり困難であると考える。
公共の利益と個人の権利については、これ以外にも色々な場合が考えられる。例えば、東京の下町の超高層マンションなど。元々その土地に住んでいる人にとっては、外から来て超高層にすむような話は、迷惑以外の何物でもないだろう。しかし、東京の縮小する都市を考えるに当たっては、高密化することによって経済活動が活発化し、利便性が増す。それによって公共の利益も増すと考えられる。
このジレンマの解決はおそらく合理的な解決法は無く、経験則によって解決していくしかないと考えられるが、この対立はおそらく様々な場面で見られるものであるということを心得ておく必要があるだろう。